Bass

「彼女とベース」



新しいギターの弦を買いに、いつもの楽器屋に立ち寄った。




今日の目的は


"ギターの弦を買う"


ただそれだけなのだが、


いつも通り、僕はなかなかそれを実行しようとしない。




新しいギターが入荷されているかチェックしたり、


高くてとても手が出ないようなものを試演したり…。


絶対買いはしないのだが、それも楽しみの一つ…、


いや、メインと言っても過言ではないかもしれない。




店員に嫌な顔をされても気にはしない。


…多少はする。


けれど、それが楽しくてたまらないから仕方がないのだ。




いつも通りブラブラと楽器を見渡す。


いつも通りに…、いつも通り楽器屋を堪能していた…、はずだった。


しかし、今日はいつもと違っていた。




 …レスポール・スペシャル。




思わず触れたくなる美しいシェイプライン…!


まるで遮断機を連想させる黄色と黒のコントラスト…!




なんと、ギブソンのレスポール・スペシャルが入荷されていたのだった!




僕は興奮を抑えることが出来なかった。


今日、楽器屋を訪れた自分を最高に誉めてやりたいと思った。


いや誉めた。




もうこの状況は僕に弾いてくれと言うことですね!?


間違いないだろう。


尋常じゃないほどの手汗をジーンズで拭って、レスポールに…。




伸ばした手が止まった。




ギターの隣には、ベースが並べてある。


そしてその最前列の一つのベースの前で…。




少女がしゃがみこんでいた。




少女と言っても、高校生以上だろう。


彼女は、赤いジャズベースの前でしゃがみこみ、


ぴくりとも動かず楽器とにらみ合っていた。




その姿に、僕の手は止められてしまった。




黒く長い髪の毛に、はっきりとした瞳。


小柄な体格の少女が、大きなベースを見つめている姿に、


僕は惹きつけられてしまっていた。




「どうかしたんですか?」




彼女は目を見開き、驚いた顔で僕のことを見た。


気付いたときには遅かった。


僕は彼女に声をかけてしまっていた。




言っておくが、僕はナンパなど、


生まれてこのかた、一度たりとももしたことが無い。


それ以前に、女の人と話すこと自体少し苦手だ。




………。




気まずい沈黙が流れる。


彼女に話しかけたことを、心の底から後悔した。




さっさと謝って立ち去ってしまえばよかったものの、


そのタイミングを逃してしまい、


もうあとには引けない状況になっていた。


しかし、かといって、次の言葉が出てくるわけでもなかった。




…逃げ出したい。




一刻も早くここから逃げ出したい!


さっきの汗はもうすっかりひいてしまった。


というか、今度は別の種類の汗が噴き出している。


精神状況は限界に近かった。




…だが、遂に均衡は破られた。




先に口を開いたのは、彼女だった。




「…ベースを始めたいと思っているんですけど、


実はまだ触った事すらなくて…。」


彼女は、目線を僕から楽器のほうへと戻し、


少し恥ずかしそうにそう言った。


その仕草に、正直、可愛いと思った…。




「だったら弾いてみたらいいですよ。」


僕は彼女の目の前にあったベースに手を伸ばそうとした。




「えっ!?そ、そんな無理です!」


彼女は顔の前で思い切り手を振り、僕の提案を断った。




「でもやっぱり、弾いてみてから決めたほうがいいと思いますよ?」


僕の言葉を聞き、彼女は困った顔でうつむいてしまった。


…どうやら真剣に悩んでいる。


なんだか申し訳ない気分になってきた…。




「ス、スイマセン、勝手なことばっかり…。」


と、謝ろうとした。が…。




「あの、よかったら弾いてくれませんか!?」




今度はこっちが驚いた。


けれど、彼女は本気のようで、じっと僕のほうを見ていた。


…そんな目で見られちゃな。




僕は彼女の要求を承諾して、側にあったベースを手に取った。


僕はギターは弾くが、ベースはあまり得意ではない。


いや、ギターが上手いのかと聞かれても返答に困るのだが…。


とりあえず、単純なベース音を演奏していた。




こんなもので参考になるのかと不安だったのだが、


彼女のほうを見てみると、


目を閉じて、一音一音を聞き逃さないようにと


必死に耳を傾けていた。




そしてその表情はとても楽しそうで、


幸せそうで、


まるでこの世の全てを愛おしんでいるような…。




そんな表情をしていて、


見ているこっちまで幸せな気持ちにさせられた。




「とりあえず、こんな感じで参考になりましたか?」


ベースを3台弾いてみて、彼女に尋ねてみた。




「はい!でもどれもよくて…。」


まあ、その通りだと思う。


言っては悪いが、素人の耳で、


細かな音の違いなど、なかなかわからないだろう。




「どれか、おすすめはありますか…?」


そう聞かれて、彼女の体格、雰囲気などから、


これがいいんじゃないかというものは、


何本かピックアップできた。




だけど、それは何かが違うような気がして。




「うーん…。でも、自分の気に入ったやつを選ぶべきだと思いますよ。


難しいことは考えないで、


見た目が格好いい!とか、


見た瞬間ビビッときた!とか。」


…って、結局何の参考にもなってないだろ!?


でも、これが今の僕にできる


一番のアドバイスのような気がした。




彼女は少しの間考え込んでいた。


そして、パッと明るい表情を見せて




「…そうですね。その通りだと思います!


じゃあ…、これに決めました!」




………。




「そんなあっさりと!?」


「…さっきと言ってることが違いますよ?」


そう言った彼女は、とても晴れ晴れとしていて…。


正直、可愛いかった…。




…かなり。




結局、彼女が選んだのは、


あの一番最初ににらみ合っていた、


大きな赤いジャズベースだった。




「もしかしたら、僕は必要なかったかもしれないな。」


と、心の中で笑った。




早速彼女は、近くにいた店員を呼び、レジへと向かった。


その際僕に、


「本当にありがとうございました!」


と、とても眩しい笑顔で言うものだからもう…。




僕は、彼女が楽器を梱包してもらっている隣のレジで、


当初の目的だった弦を買い、店を後にした。


彼女は、店員が梱包している赤いジャズベースを、


目を輝かせて見つめていた。




帰り道。


僕は、彼女がベースを演奏している姿を考えながら歩いた。


考えるだけで、笑い顔になってしまって、


そして、とても幸せな気持ちになれた。




あの小さな体の彼女が、大きなジャズベースを抱えている…。


少し変だけど、誰よりもふさわしいと、そう思った。




僕が弾いた下手くそなベースの音を、幸せそうに聞いていた。




あの彼女の笑顔を、




僕は忘れはしないだろう。


BACK



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送